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東京地方裁判所 平成10年(ワ)7031号 判決 2000年7月14日

甲事件原告兼乙事件被告(以下「原告」という。)

横河電機株式会社

右代表者代表取締役

美川英二

右訴訟代理人弁護士

尾﨑英男

甲事件被告(以下「被告」という。)

カシオ計算機株式会社

右代表者代表取締役

樫尾和雄

右訴訟代理人弁護士

山田靖彦

乙事件原告兼甲事件被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)

アルプス電気株式会社

右代表者代表取締役

片岡政隆

右訴訟代理人弁護士

飯田秀郷

右訴訟復代理人弁護士

七字賢彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  原告は、補助参加人に対し、登録第一九三九七一一号実用新案権に基づいて、別紙プリンタユニット目録3記載の物品の製造及び販売の差止めを求める権利を有しないことを確認する。

三  原告は、補助参加人に対し、登録第一九三九七一一号実用新案権に基づいて、別紙プリンタユニット目録1ないし3記載の物品の製造、販売に関する損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を有しないことを確認する。

四  損害費用は、両事件を通じ、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

(甲事件)

被告は、原告に対し、金三億一五〇〇万円及びこれに対する平成九年五月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(乙事件)

一  主文第二項と同旨

二  主文第三項と同旨

第二  事案の概要

原告は、熱転写プリンタに関する実用新案権を有する。被告は、補助参加人から熱転写プリンタを購入し、これを組み込んだワードプロセサを販売している。本件は、原告が、被告に対し、被告の右ワードプロセサの販売行為が、右実用新案権を侵害すると主張して、実施料相当額三億一五〇〇万円の不当利得の返還を請求し(甲事件)、補助参加人が、原告に対し、「右実用新案権に係る考案は出願前に原告によって公然実施されているから、右実用新案権に基づく権利行使は権利濫用になる」などと主張して、右実用新案権に基づく、原告の補助参加人に対する右熱転写プリンタの製造販売の差止め、損害賠償及び不当利得返還を請求する権利の不存在確認を求めている(乙事件)事案である。

一  争いのない事実等(括弧内で特段の記載をしていない事実は、当事者間に争いがない。)

1  原告は、次の実用新案権(以下「本件実用新案権」といい、その考案を「本件考案」という。)を有している。

考案の名称 熱転写プリンタ

登録番号 第一九三九七一一号

出願日 昭和五八年一〇月二一日

公開日 昭和六〇年五月一七日

公告日 平成二年九月二六日

登録日 平成四年一一月二五日

実用新案登録請求の範囲

「キャリッジの駆動力を利用して熱転写リボンの巻取りを行うとともに印字ヘッドのアップダウンに連動して熱転写リボンの巻取り力を断続しヘッドダウンの時にのみ熱転写リボンの巻取りを行なうようにし、前記印字ヘッドをダウンさせて印字を行う際には、その印字開始位置より手前に前記印字ヘッドをダウンさせ、前記印字ヘッドをその分だけ空送りして所定の印字開始位置まで移動させるようにしてなる片方向に印字する熱転写プリンタであって、

前記空送りを少なくとも一文字分の空送り量とし、ダウンしている印字ヘッドをアップ後この印字ヘッドをダウンさせて同じ行を印字する際に、指定された印字開始位置に応じてその印字開始位置より手前に前記印字ヘッドをダウンさせ、前記印字ヘッドを前記印字空送り量分空送りして所定の印字開始位置まで移動させるようにした熱転写プリンタ。」

2  本件考案は、熱転写リボンのたるみによる印字不良がヘッドダウン後の最初の印字部分に限られることに着目し、印字ヘッドをダウンさせて印字を行う際には、その印字開始位置より少なくとも一字分以上手前に印字ヘッドをダウンさせ、印字ヘッドをその分だけ空送りして、所定の印字開始位置から印字を開始するようにしているので、新たな機構を追加することなく、従来のままの機構で熱転写リボンのたるみによる印字不良を防止することのできる熱転写プリンタを簡単な構成で実現することができる、という作用効果を奏するものである。

3  本件考案の構成要件は、次のように分説することができる(以下「構成要件A」などという。弁論の全趣旨)。

A キャリッジの駆動力を利用して熱転写リボンの巻取りを行うとともに

B 印字ヘッドのアップダウンに連動して熱転写リボンの巻取り力を断続しヘッドダウンの時にのみ熱転写リボンの巻取りを行うようにし、

C 前記印字ヘッドをダウンさせて印字を行う際には、その印字開始位置より手前に前記印字ヘッドをダウンさせ、前記印字ヘッドをその分だけ空送りして所定の印字開始位置まで移動させるようにしてなる

D 片方向に印字する熱転写プリンタであって、

E 前記空送りを少なくとも一文字分の空送り量とし、

F ダウンしている印字ヘッドをアップ後この印字ヘッドをダウンさせて同じ行を印字する際に、指定された印字開始位置に応じてその印字開始位置より手前に前記印字ヘッドをダウンさせ、前記印字ヘッドを前記空送り量分空送りして所定の印字開始位置まで移動させるようにした

G 熱転写プリンタ

4  補助参加人は熱転写プリンタを製造して、被告に対して販売し、被告は、右プリンタを組み込んだワードプロセサを製造販売している。

(右プリンタの特定については争いがある。原告は、別紙物件説明書(1)ないし(3)記載のとおり主張し、補助参加人は、別紙プリンタユニット目録1ないし3のとおり主張している。)。

5(一)  別紙物件説明書(1)記載のプリンタ(別紙プリンタユニット目録1記載のプリンタ、以下「本件プリンタ1」という。)及び別紙物件説明書(2)記載のプリンタ(別紙プリンタユニット目録2記載のプリンタ、以下「本件プリンタ2」という。)は、本件考案の構成要件すべてを充足する(弁論の全趣旨)。

(二)  別紙物件説明書(3)記載のプリンタ(別紙プリンタユニット目録3記載のプリンタ、以下「本件プリンタ3」という。)は、本件考案の構成要件A、CないしGを充足する(弁論の全趣旨)。

二  争点

(両事件)

1 本件プリンタ3が本件考案の構成要件Bを充足するかどうか

(原告の主張)

本件考案の構成要件Bの後段「ヘッドダウンの時にのみ熱転写リボンの巻取りを行う」は、本件実用新案登録請求の範囲において、構成要件A「キャリッジの駆動力を利用して熱転写リボンの巻取りを行うとともに」、構成要件Bの前段部分「印字ヘッドのアップダウンに連動して熱転写リボンの巻取りを断続し」に続いて記載されている部分であって、ヘッドアップ時にリボンの巻取り力が働かないという趣旨であるから、ヘッドがダウンからアップの状態に移行する間のわずかな時間のことをも意識して、その期間をも除外する趣旨ではない。したがって、本件プリンタ3に、補助参加人が指摘するようなヘッドアップ動作に伴うリボン巻取り機構の動きがあっても、本件考案の構成要件Bを充足する。

(補助参加人の主張)

本件プリンタ3はヘッドアップ動作の過程において、レバー34がヘッド圧接レバー15の動きに連動して働くので、レバー34に取り付けられた巻取りバネ35が右過程の途中であるところの揺動板23に取り付けられた伝達ギア26と巻取りギア27の噛合が解除された後において更なるカム13の回転により、巻取りギア27及び巻取りギア32と噛合している伝達ギア33の歯部に係合し、右過程が完了して完全にサーマルヘッド8がプラテン2から離隔した状態に至るまで伝達ギア33を巻取りギア27及び巻取りギア32を介してインクリボンが巻き取られる方向に回転させるのであるから、本件プリンタ3は、ヘッドダウンの時にのみ熱転写リボンの巻取りを行うものではなく、本件考案の構成要件Bを充足しない。

2 本件プリンタ1ないし3が本件考案の作用効果を奏するかどうか

(補助参加人の主張)

平成一〇年審判第三九〇四〇号訂正審判事件の審決により訂正された本件実用新案登録の出願明細書(以下「本件明細書」という。記載場所の表示は、本判決末尾に添付した訂正前の実用新案公報中のものであるが、訂正によって変更されていない。)には、「熱転写リボンの巻取りにキャリッジの駆動力を利用した装置では、キャリッジリターン時などのように、印字ヘッドをヘッドアップ状態とした時には、……熱転写リボンが僅かではあるがたるんでしまうことがある。このため、印字ヘッドをダウンさせた際、印字ヘッドと記録紙との間に挟まれた熱転写リボンがしわになることがあり、このような時には、ヘッドダウン後の最初の印字がかすれ、印字不良となってしまう。本考案は、上記のような問題点を解決し、新たな機構を付加することなく、従来のままの機構で熱転写リボンのたるみによる印字不良を防止することのできる熱転写プリンタを簡単な構成で実現できることを目的としたものである。」(二欄三行目から一八行目)と記載されているから、本件考案は、熱転写リボンの「たるみ」が原因となって印字ヘッドのダウンの際に生じる印字ヘッドと記録紙との間に挟まれたインクリボンの「しわ」の除去を目的とするものであり、熱転写リボンの「たるみ」のすべてを除去することを目的とするものではないから、本件プリンタにおいて、右のような「しわ」が存在しなければ、本件考案の技術的課題も存在せず、作用効果も奏しない。

(一) 本件プリンタ1、2について

本件プリンタ1、2においては、別紙プリンタユニット目録1、2(それぞれ第三(構成と動作の説明)九(ヘッドアップ動作時のインクリボンの挙動)、一一(ヘッドダウン動作時のインクリボンの挙動))のとおり、リボンカセット内部に配設したテンションばね32、板ばね38a、bの働きにより、印字ヘッドのアップ状態において、インクリボン31に摩擦力による張力がかかった状態となっているから、この状態からヘッドダウン動作を行っても、キャリッジ、リボンカセットとは独立して、サーマルヘッドのみがプラテン方向に移動するために、インクリボンは張力を持った状態でリボンカセット内部から引き出される。そのため、熱転写リボンのたるみを原因とする「しわ」が存在しない構造となっている。

(二) 本件プリンタ3について

本件プリンタ3においては、別紙プリンタユニット目録3(第三(構成と動作の説明)四(ヘッドダウン動作に伴うリボン巻取り機構の動き)ないし六(リボンカセット機構))のとおり、巻取りバネ35、第2の供給ボビン50等により、印字ヘッドがアップされた状態であってもインクリボン31には張力がかかった状態となっているから、この状態からヘッドダウン動作を行っても、キャリッジ、リボンカセットとは独立して、サーマルヘッドのみがプラテン方向に移動するために、インクリボンは張力を持った状態でリボンカセット内部から引き出される。そのため、熱転写リボンのたるみを原因とする「しわ」が存在しないような構造となっている。

以上のとおり、本件プリンタ1ないし3においては、本件考案の技術的課題が存在せず、本件プリンタ1ないし3は、本件考案の作用効果を奏しない。

(原告の主張)

(一) 本件明細書中の補助参加人が主張する技術的課題に関する記載部分(二欄三行目から一八行目)及び「したがって、この状態から印字を開始すると、熱転写リボンと記録紙とがうまく密着せず、文字がかすれて、印字不良となってしまう。」(四欄一四行目から一七行目)との記載部分において、ヘッドアップ状態ではリボンの巻取り部とキャリッジの駆動系が切り離されるので、リボンに巻取り力が働かなくなるという事実と、ヘッドダウン後の最初の印字のかすれ、印字不良が起こるという事実が指摘されており、これは、ヘッドアップ時にはリボンに巻取り力が働かないことが原因で、ヘッドダウン後直ちに印字をすると最初の印字がかすれ、印字不良になることがあるという結果を技術課題として指摘していることを意味する。

(二) カセット式熱転写リボンでは、カセットをプリンタに装着できるようにするために、リールに大きな「あそび」を設けているので、カセット内でリボンが容易に動きうる。

したがって、何の手段も講じないと、リボンがリボンカセット内から外に飛び出して、大きな「たるみ」が生じることがある。

このような「たるみ」を含めると、リボンに生じうる「たるみ」は、次のように区別することができるが、次のいずれの「たるみ」も、印字がかすれる原因となる。

(1) 用紙の挿入時に用紙の先端がインクリボンを引っかけてしまうような大きな「たるみ」

(2) 肉眼で認識できる程度の小さな「たるみ」

(3) 肉眼でも認識できないような微小な「たるみ」

(三) 補助参加人が主張する本件プリンタ1ないし3に備えられた「たるみ」防止機構は、いずれも右(1)のような大きな「たるみ」の発生を防止することを目的としたものであり、右(2)及び(3)のような「たるみ」の発生を十分に防止できるもいのではないから、本件プリンタ1ないし3においても、本件考案の技術的課題が存在し、本件プリンタ1ないし3は本件考案の作用効果を奏する。

3 本件実用新案登録出願前に本件考案が公然実施されていたかどうか

(補助参加人の主張)

原告は、日本電気株式会社(以下「NEC」という。)に対するOEM製品である「PC―8824」の型番を有する熱転写プリンタ(以下「PC―8824」という。)において、本件考案を実施しているところ、原告は、NECに対し、昭和五八年春ころから、PC―8824を出荷しており、NECもPC―8824を昭和五八年四月から販売している。

補助参加人は、製造番号「3501865LA」のPC―8824(以下「実機」という。)を保有している。PC―8824の製造番号は、NECの製造番号付与に関する定めに基づいて原告が付したものであり、実機の製造番号のうち「3501865L」は、「一九八三年五月にLで示される工場でその月の一八六五台目に製造されたもの」であること、「A」は、最初の仕様であることを意味する。

実機の構成は、本件考案の構成要件をすべて充足するものである。

NECはPC―8824の製品在庫を極力持たないようにする方針であったから実機は遅くとも昭和五八年六月には市場において販売されたと考えられる。

したがって、本件考案は、本件実用新案登録出願前に、原告自身によって公然実施されていたものであるから、本件実用新案権は新規性を欠き、無効となるべきことが明らかな権利である。したがって、このような権利に基づく差止請求、損害賠償請求、不当利得返還請求は、権利の濫用として許されない。

(原告の主張)

(一) 原告は、計測・制御・情報機器の製造、販売を業としていたが、オフィス用電子機器の分野に新たに進出することを企図し、昭和五六年にオフィス機器事業部を新設して、熱転写プリンタやワードプロセサの開発を始めた。原告は、オフィス機器の販売・保守サービス網を独自に持っていなかったため、自社開発の熱転写プリンタをNECにOEM供給することとし、昭和五八年に、最初の熱転写プリンタであるPC―8824を、NECを通じて発売した。

発売当初のPC―8824においては、複数回にわたって、大規模なロットアウト(製造した製品が、検査の段階で必要とされる仕様を満たしていない等欠陥があることが発見されたために、出荷できなくなること)が発生した。

また、PC―8824は、熱転写プリンタの最初の製品であったため、ロットアウトの原因となった欠陥の改修以外にも、当初の設計仕様の修正変更が行われた(静電気によるサーマルヘッド破壊防止のために、サーマルヘッドに黒いゴム製のキャップ(以下「ゴムキャップ」という。)を装着するようにしたことも、そのような変更の一例である。)。

本件考案は、このようなPC―8824の発売後に行われた改良のための設計変更の一つであり、PC―8824の主PCBアセンブリ基板のROMに収納されているプログラムを書き換えることによって実施が可能である。

なお、原告は、昭和六三年一〇月にオフィス機器事業部を廃止し、熱転写プリンタ事業から撤退したが、オフィス機器事業部の廃止に伴い、同事業部が保管していた書類はすべて廃棄したので、PC―8824に関する書類も存在しない。また、本件実用新案の出願に関するファイルもすべて廃棄されており、原告の社内には残っていない。

(二) 本件明細書においては、発売当初のPC―8824の構成を従来技術として記載しており、本件実用新案の出願当時、熱転写プリンタはPC―8824以外には存在しなかったのであるから、本件考案は発売当初のPC―8824の改良として導入された技術であることを示している。

(三) 実機は、日本電子応用株式会社(以下「日本電子応用」という。)に保管されていたものであり、PC―8824の製造販売当時、日本電子応用は、NECの特約店として、PC―8824の保守、サービスを行っていたのである。PC―8824サービスマニュアルによると、PC―8824の故障対策はほとんどの場合に主PCBアセンブリ基板の交換によって行われるよう指示されており、主PCBアセンブリ基板が交換されると、そこに搭載されたROMに収納されているプログラムも交換されるのであるから、日本電子応用が保管していた実機も、主PCBアセンブリ基板の交換によって本件考案を実施するものに変更されている可能性がある。

また、実機には、発売後に行われた設計変更であるサーマルヘッドへのゴムキャップの装着が反映されているから、このことからも、実機には改修が加えられており、その主PCBアセンブリ基板が交換された可能性が高いといえる。

(四) 以上のとおり、本件考案はPC―8824の発売後に、その改良として導入された技術であり、本件考案が、本件実用新案の出願前において、公然実施されたことはない。

そもそも原告のように知的財産権管理を行っている企業が、実用新案の出願前に当該実用新案を実施した製品を出荷することは通常考えられない。

(甲事件)

4 原告の得るべき実施料相当額

(原告の主張)

被告の、本件実用新案の公告日である平成二年九月二六日以降における、本件プリンタ1及び2を組み込んだワードプロセサの売上げは一二〇億円を下らない。

被告の、平成六年以降における、本件プリンタ3を組み込んだワードプロセサの売上げは三〇〇億円を下らない。

右の各ワードプロセサにおける、本件プリンタ1ないし3の寄与率は、それぞれ二五%であり、本件実用新案の実施料率は三%であるから、実施料相当額の合計は((120億円+300億円)×0.25×0.03=)3億1500万円である。

したがって、被告は、右同額を法律上の原因なく利得し、原告は右同額の損失を被った。

(被告及び補助参加人の主張)

原告の主張を争う。

第三  争点に対する判断

一  争点3について

1  証拠(甲二八、四二ないし四四、丙一ないし一二、丙一三の一ないし五、丙一四、一五、二〇、二二ないし二七、丙二九の一ないし四、検丙一、二、証人布施譲、同田村武夫。ただし、書証番号はいずれも甲事件のもの。以下本判決において同じ。)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 原告は、原告のオフィス機器事業部において開発した熱転写プリンタであるPC―8824を、NECに対してOEM供給していた。NECは、昭和五八年(一九八三年)四月以降、PC―8824を市場において販売していた。

原告が製造したPC―8824には、NECにおいて定められた製造番号が付与されており、製造番号の一桁目は製造された年の西暦の最後の数字、二桁目は製造された月の数字(一〇月、一一月及び一二月は、それぞれX、Y及びZで表す。)、三ないし七桁目はその月において製造された順番、八桁目は製造場所に当たる工場のコード、九桁目はAからはじまる管理番号であって、仕様変更があった場合にB、Cへと変更されるもの、となっている。

実機は、PC―8824の補修を行っていた日本電子応用が保管していた原告製造に係るPC―8824であり、その製造番号は「3501865LA」である。したがって、実機は、昭和五八年(一九八三年)五月に、「L」によって特定される原告の工場において、その月の一八六五台目に製造されたPC―8824であって、製造番号中の仕様の表示に変更が加えられていないものである。

(二) 実機は次の構成を有する。

(1) キャリッジの駆動力を利用して熱転写リボンの巻取りを行うとともに印字ヘッドのアップダウンに連動して熱転写リボンの巻取り力を断続しヘッドダウンの時にのみ熱転写リボンの巻取りを行うようにし、

(2) 前記印字ヘッドをダウンさせて、印字を行う際には、その印字開始位置より手前に前記印字ヘッドをダウンさせ、前記印字ヘッドをその分だけ空送りして所定の印字開始位置まで移動させるようにしてなる片方向に印字する熱転写プリンタである。

(三) 実機は、次のような印字動作をする。

(1) キャリッジリターンが指令された後、キャリッジに設けられたサーマルヘッド発熱素子は印字開始位置から少なくとも一文字分以上手前の位置に移動する。

(2) 印字ヘッドがダウンする。

(3) 印字ヘッドの設けられたサーマルヘッド発熱素子は、前記ダウンした位置からキャリッジの移動に伴い、少なくとも一文字分以上空送りされ、印字開始位置に移動する。

(4) 前記印字開始位置からサーマルヘッド発熱素子により印字が開始される。

(5) 同一行で一定のスペース(空白部)がある場合に、ヘッドダウン状態のサーマルヘッドを一旦ヘッドアップさせ、ヘッドアップ状態でのキャリッジの移動が指令された後、キャリッジは、このキャリッジに設けられたサーマルヘッドの発熱素子がそのスペースの次に印字すべき位置の少なくとも一文字分以上手前の位置に位置するまで移動して、停止する。

(6) サーマルヘッドがダウンする。

(7) キャリッジは移動を開始し、キャリッジに設けられたサーマルヘッドの発熱素子は、当該キャリッジの移動に伴い、前記ダウンした位置から少なくとも一文字分以上空送りがされた後、実際に印字をすべき印字開始位置に移動する。

(8) 前記印字開始位置からサーマルヘッドの発熱素子により印字が開始される。

(四) PC―8824は、我が国で最初に製品化された熱転写プリンタであったことから、発売後にも問題を生じたが、その一つにサーマルヘッドが静電気を帯びるために、発熱ドットが破壊されて印字できなくなるという問題があった。この問題への対策として、PC―8824では、サーマルヘッドにゴムキャップを取り付けているところ、このゴムキャップは、実機にも取り付けられている。

(五) 昭和五八年八月付けの「PC―8824サービスマニュアル」は、修理・保守を行う者のための手引書であり、実機に添付されていた「PC―8824熱転写プリンタ USER'S MANUAL」はユーザーの取扱説明書であるが、これらの図面には、サーマルヘッドにゴムキャップが装着されておらず、右手引書の説明にも、サーマルヘッドにゴムキャップが装着されていないことを前提とした記載がある。

(六) PC―8824について、製造後に、本件考案を実施するように変更するためには、主PCBアセンブリ基板のROMに収納されているプログラムを書き換えることが必要である。

2(一)  前記第二(事案の概要)一(争いのない事実等)(以下「争いのない事実等」という。)1、4、右1(二)、(三)の各事実及び弁論の全趣旨によると、実機の構成は、本件考案の構成要件すべてを充足し、新たな機構を追加することなく、従来のままの機構で熱転写リボンのたるみによる印字不良を防止するという作用効果を奏するものであることが認められる。

したがって、実機は、本件考案の構成要件をすべて充足し、同様の作用効果を奏するから、本件考案は実機において実施されているということができる。

(二)  右1(一)の事実によると、実機は、本件実用新案の出願前である昭和五八年(一九八三年)五月に製造されたものであると認められる。

(三)  実機には、製造時に本件考案は実施されておらず、その後の改良によって本件考案が実施された事実を認めるに足りる証拠はない。

原告は、PC―8824については、発売当初、複数回にわたって、大規模なロットアウト(製造した製品が、検査の段階で必要とされる仕様を満たしていない等欠陥があることが発見されたために、出荷できなくなること)が発生し、欠陥を改修したこと、それ以外にも設計仕様の修正変更が行われたことを根拠として、本件考案の実施もそのような発売後の変更の一つであると主張する。しかし、ロットアウトがあったことを示す証拠は、証人布施譲のあいまいな証言と甲三七のあいまいな記載があるのみであるから、PC―8824について、発売当初、複数回にわたって、大規模なロットアウトが発生したことを認めることはできないし、その際に本件考案を実施する改良が行われたことを認めるに足りる証拠もない。また、右1(四)、(五)の事実によると、PC―8824について、発売開始時には存在しなかった変更が加えられることがあったことが認められるが、具体的に認められる変更は、サーマルヘッドのゴムキャップに関するものであって、本件考案の実施に関する変更ではない。

また、原告は、実機が日本電子応用に保管されていたことから、同社において、修理のために主PCBアセンブリ基板が交換された可能性があると主張する。しかし、顧客から修理を依頼された製品は、修理後に顧客の元に返還されるのが通常であると考えられることからすると、実機が、日本電子応用において、他の箇所の修理のために主PCBアセンブリ基板を交換された製品であるとは考えられず、他に、右交換の事実を認めるに足りる証拠はない。

さらに、原告は、実機には、発売後に行われた設計変更であるサーマルヘッドへのゴムキャップの装着が反映されていると主張するが、いつからサーマルヘッドへのゴムキャップの装着がされたかを示す的確な証拠はない(証拠(証人布施譲、同田村武夫)及び弁論の全趣旨によると、右1(五)認定に係る昭和五八年八月付けの手引書の図面、記載や実機に添付されていた取扱説明書の図面は、必ずしもこれらの発行当時における実際の機械に合致したものとは限らないと認められるから、これらの図面、記載からサーマルヘッドへのゴムキャップの装着がされた時期を認めることはできない。)から、実機には、製造当初からサーマルヘッドにゴムキャップが装着されていた可能性があるし、仮に、後の時期に実機のサーマルヘッドにゴムキャップが装着されたとしても、そのことから直ちに主PCBアセンブリ基板が交換されたことを推認することができないことは明らかである。

(四)  右1(一)認定のとおり、実機は、製造番号中の仕様の表示に変更が加えられていないものである。なお、後の時期に実機のサーマルヘッドにゴムキャップが装着されたとすると、それによって製造番号中の仕様の表示に変更が加えられていないことになるが、これと、主アセンブリ基板のROMの交換を伴う本件考案の実施とを直ちに同視することはできない。

また、証拠(丙二六、証人布施譲、同田村武夫)によると、PC―8824において、主PCBアセンブリ基板のROMを交換して、本件考案を実施する場合には、OEM供給先であるNECに連絡されるのが普通であると認められるが、本件においては、NECに、そのような連絡があったことを認めるに足りる証拠はない。

さらに、原告は、本件考案の実施について、その実施時期を特定した主張立証を何ら行っていない。この点について、原告は、オフィス機器事業部の廃止に伴い、同事業部が保管していた書類はすべて廃棄されており、原告の社内には、PC―8824における本件考案の実施及び本件実用新案の出願に関する資料は残っていないと主張するのであるが、仮にそうであるとしても、本件考案の実施は、原告自身に関することであり、十数年前の事実であって、知的財産権等に関する管理組織を有するものと推認される原告において、その実施時期を特定した主張立証を何ら行うことができないのは不自然である。

(五)  なお、原告は、本件明細書においては、発売当初のPC―8824の構成を従来技術として記載していると主張するが、その事実を本件明細書から認めることはできず、他にその事実を認めるに足りる証拠もないから、本件明細書の記載から直ちに本件考案は発売当初のPC―8824の改良として導入された技術であると認めることはできない。

(六)  以上述べたところを総合すると、実機には、製造時から本件考案が実施されていたものと推認することができる。

(七)  証拠(丙二六、証人田村武夫)によると、PC―8824についてNECが長期間在庫を持つことはないものと認められるから、本件考案が実施されている実機又はそれと同じ構造を有する同時期に製造されたPC―8824が、本件実用新案の出願日(昭和五八年一〇月二一日)前に、市場において販売されていたものと認められる。

二1 実用新案の無効審決が確定する以前であっても、実用新案権侵害訴訟を審理する裁判所は、実用新案に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該実用新案に無効理由が存在することが明らかであるときは、その実用新案権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。

2 前記一のとおり、本件実用新案は、原告が製造し、NECに対してOEM供給した製品において、その出願前に公然実施されていたものであるから、本件実用新案には無効理由が存在することが明らかである。

したがって、このような本件実用新案権に基づく差止め並びに損害賠償及び不当利得返還の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないところ、本件においては、特段の事情を認めるべき事実は認められない。

三  以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、甲事件の原告の請求は理由がなく、乙事件の補助参加人の請求はいずれも理由がある。

なお、原告は、本件口頭弁論終結後、実機のROMのバージョンが「1.4」であること、実機に搭載された主PCBアセンブリ基板(主回路基板)のうち大きな基板は原告において製造されたものではないことを理由に口頭弁論の再開を申し立てているが、実機が製造されたのがPC―8824発売後の昭和五八年五月であることからすると、ROMのバージョンが「1.4」であっても必ずしも不自然ではなく、また、実機に搭載された主PCBアセンブリ基板(主回路基板)のうち大きな基板が原告において製造されたものではないことについては、それを認めるに足りる十分な証拠はないが、仮にそうであるとしても、ROMが搭載されているのは、右基板ではないから、右基板が原告において製造されたものでないことから直ちに、製造後にROMが交換されて、本件考案が実施されるようになったものと認めることはできない。したがって、原告の右主張は、本判決の認定を覆すに足りるものではないから、口頭弁論を再開しないこととする。

(裁判長裁判官森義之 裁判官内藤裕之 裁判官杜下弘記)

別紙<省略>

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